【インタビュー】外国ファンがもっと多い「バレエドル」 ミヌ、しっかりしていてスマートな「1位」 ヒャンギ

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ユニバーサル・バレエ ソリスト  カン・ミヌ/ホン・ヒャンギ

バレエのシーズンが巡ってくると、ときめく気持ちでキャスティングの発表を待つ。クラシック・バレエなら常にトップダンサーらが主役を受け持つ。破格のキャスティングはほぼない。安定的だが新鮮ではない。

モダンバレエは違う。主・助演の区分が難しいこともあるが、新しい顔が堂々と舞台の中心に立つ。普段から目に留めてはいたが、比較的隅にいたダンサーが前面に登場し、人知れず応援していたファンをときめかせる。昨年初演されたユニバーサル・バレエの「マルティプリシティ」もそうだった。看板スターらはむしろ見当たらなかった。見慣れない顔だが、しっかりとした実力を備えた新鋭たちが客席深くに活力を吹き込んだ。

モダンバレエの巨匠、ナチョ・ドゥアトの「マルティプリシティ」(19~22日 LGアートセンター)が1年ぶりに帰ってきた。カンタータBWV205, 無伴奏チェロ組曲第1番, ブランデンブルク協奏曲第3番などバッハの朱玉のような音楽に、彼の人生と死を照らし合わせた荘厳な舞台は、初演ではあるが安定的なミザンセーヌを創りだしており、敬虔であるだけのように思われたバッハに対する固定観念を破ったと好評を得た。今年の「マルティプリシティ」の舞台では、どんな顔が私たちをときめかすのだろうか。ユニバーサル・バレエの「ライジング・スター」、カン・ミヌ(26)とホン・ヒャンギ(26)の柔らかいジャンプに注目してみよう。

 

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昨年の「マルティプリシティ」を公演しているホン・ヒャンギ(上段,左)とカン・ミヌ(下段,右)

 

なんで化粧したんだ~」「早く上着を脱げ!!」面立ちから醸し出される柔らかな貴公子のイメージは、どこかへ行ってしまった。花冷えが強い9日午後、写真撮影のため野外でブルブル震えながら上着を脱ぐ同い年のホン・ヒャンギを突っ込んでからかうカン・ミヌは、いたずらっ子の少年のようだった。小学校 5年生の時に韓国芸術総合学校の英才予備学校で初めて会ったという彼らは、極寒も引きそうなほど始終一貫して「ハハハ、ホホホ」と気分が良かった。見ているだけで学生時代に戻ったかのように心温まる。

子供のように晴れ晴れとした笑顔で笑っているが、彼らはユニバーサル・バレエの堂々たるソリストだ。ヒャンギは昨年「マルティプリシティ」で最も際立つ「死」の役に破格的にキャスティングされ話題を生み、ミヌは国内より海外にファンを多く持つ代表的「バレエドル」だ。「マルティプリシティ」と 6月に初演の予定である「グレアム・マーフィーのジゼル」で主要な役を踊ることになり、二つの作品を同時に練習中であるミヌは、スケジュールに追われて胃出血と十二指腸潰瘍に悩まされていると言いながらも、もっぱら幸せそうな表情である。

「この作品をもう一度踊ることになり本当に嬉しいです。最終日にとても残念に思ったからです。いつも初日は震えますが、公演を続けるほど疲れるのに、この作品は踊るたびに感覚が違い、最終公演の時も『もっと上手くできるのに、いつまた踊れるんだろう』と思っていました。モダンなので難しいですが、練習でさえもものすごく面白いんです。どんな想像力でこのような振りを創ったのだろうかと、本当に不思議なんです。」(ミヌ)

 

◆昨年、ナチョ・ドゥアト氏が直接指導されましたが、やはり違いましたか。

ミヌ: 人間を見ているようではない気がしました。神までではないにしても、その中間くらい? 手本を見せている時も開いた口が塞がらなくて…自分は人間以下なのに人間の上を見るような感じでした。
ヒャンギ: 私に与えられた「死」は、年輪のある方々が踊ってきたものなので…自分がキャスティングされたのが信じられなくて、事実できないと思ったんです。ところがナチョが私を見て「最年少の死」と言われながらも結局引き上げて下さいました。

「宗教音楽の父」バッハの音楽に合わせて踊りを踊るというのは、事実想像に容易くない。ナチョ・ドゥアト氏も「最初はバッハの音楽に振付をすること自体が怖かった。」と告白するほどだ。だが彼は、バッハに対する度の過ぎた厳粛主義を捨て、自由な感性で再解釈し傑作を誕生させた。バッハの旋律に従って流れていくダンサー達の動きは五線紙上の音符に、バッハが演奏する楽器に変化し、まもなく音となって聞こえてくる。横に長く伸びた群舞は明らかにピアノの鍵盤を描いているが、鍵盤がはじかれ音楽を成すように、ダンサーらの動きもいつのまにか音になるという感じだ。

 

◆バッハの音楽は、踊るにはどうですか。
ヒャンギ: 「マルティプリシティ」のための音楽のようです。まるでバッハとナチョが合作したように音楽と踊りがよく合います。


◆ダンサー達が音楽自体となるので、キャラクターを持つクラシックの舞台とは違うでしょう。

ミヌ: 昨年初めて踊るときは、気がかりなことが沢山ありました。ヘアスタイルは? 扮装は? ところがナチョは、ただ自然なままで踊れと言いました。化粧も髪も飾らずあるがままにしていろと。配役ごとにヘアスタイル、扮装、シャドウの色まで決まっているクラシックとは違い、観客はダンサーという人を、舞台上であるがままに出会うんですね。クラシックは友達が見に来ても、「ミヌ、出てたのか」と見つけられないこともありますが、キャラクターではない自分自身を見せる魅力があると思います。

 

◆名場面を挙げるなら。
ヒャンギ: 「死」が最初にソロを踊る時と、チェロ・バッハとトリオのところも良いけれど、最後にフーガが終わり、バッハを導く場面が素晴らしいようです。その時、後ろでダンサー達が五線紙のセットを上がっていく絵がとても素敵だということです。
ミヌ: 一言で挙げれないほど全て良いと思います。実は昨年はワン・キャストだったので自分は舞台を見れなかったんです。今回はダブルキャストなので客席から全部見たいです。特にオーケストラの場面は練習中に他のチームが踊るのを見ましたがとても恰好良かったです。これを舞台で観たらどうだろうか、必ず一度全体的な絵として観たいです。

韓国芸術総合学校の英才予備学校を経て、仙和芸術中学校に一緒に入学した二人は、思い出もポンポンたくさん出てくる。 しっかりしていてスマートなイメージのヒャンギは、幼い頃からずっと一位だけ取っていたそうだ。日本公演に行くとファンが空港まで出迎え、プレゼントを渡すというミヌは、幼い頃にも「超人気者」だった。

ヒャンギ: バレエ科20名の中で男子がミヌ一人でした。イケメンだと他の科の女の子達が毎日会いにきました。
ミヌ: 箸使いが上手くなかったのですが、おかげで上手になりました。給食室にまで集まってくるので、恥ずかしくて直すようになったんです。
ヒャンギ: 中学校の時に二人でパドドゥをしたことがありましたが、ミヌとは親しかったけれど男子と踊るのは初めてで本当に震えました。初めてのパドドゥを友達とすることになって、もっと恥ずかしかったみたいです。
ミヌ: 本当に震えたの?まさか。自分は「あぁ!」と言って顔を背けたと思います。(笑)

 

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「マルティプリシティ」は自分を見せられる魅力
典型的な王子の容貌に明るい性格が、正しく良い環境で育った御曹司のようだが、実はミヌは中学時代に父が脳出血で倒れた上に自閉症を患う双子の弟までおり、バレエを止める危機も経験した。幸いにもユニバーサル・バレエの支援で中3の時にワシントンD.C.キーロフ・アカデミー・オブ・バレエへ留学した後、2008年にユニバーサル・バレエに入団した。

「その当時、あまりにも辛くて記憶を消したのか、しんどかった記憶もほとんどありません。自分がアメリカに行っている間、5歳年上の兄が父の代わりに働きながら、僕にお小遣いを送ってくれていました。それで、自分も弟に対する責任感をすごく感じます。」


ヒャンギは2006年にスイス・ローザンヌコンクールで3位に入賞し、ロシアのワガノワ・バレエ・アカデミーに留学した。コンクール入賞に対する褒賞で行った留学だったが、むしろそこで危機に遭遇した。「ロシアでとても太りました。ワガノワでは、留学生がいくら頑張ってもロシア人を目立たせる手段になるのでストレスを受けて沢山食べて…一度も太ったことがなかったのに10kg増えて、空港でお母さんが私だとわからなかったんです。後ろでいろいろと言われたりもし、消極的になっていましたね。元に戻るまでに長いスランプがありました。」


ヒャンギが韓国芸術総合学校を経て2011年にユニバーサル・バレエに入団し、プロとして再会した彼らは、お互いにとって頼れる良い存在となった。 ‘十五年知己(15年来の友人)’というのが不思議だが、今も古い友達と‘幼稚に遊ぶのが’楽しいそうだ。 「ヒャンギが初めて入ってきた時は未だスランプでした。幼い時いつも1位にだけなっていて上手くやれるのを知っているのに、意気消沈して後ろにいるんですよ。自分が行ってこう言ったんです。「『おい、ちょっと積極的にやってみなよ。おまえらしくもなくどうしたんだ』と。その後からは上手くいって‘ライジング・スター’になりましたね。僕の位置を下に見られるのが怖くはありますが、超えるかもしれないですね。(笑)」(ミヌ)

「私たちがソリストの中で唯一の同い年ですが、一緒にクラスレッスンをしながらも勝負もして…バレエ団で一緒に発展できるようにしてくれる友達だと思います。私はジャンプが弱くて男性を見て学ぼうとしているのですが、一番多く見ているのがミヌです。ミヌは本当に恰好良いです。ファンが多いのも踊っているとき素敵だからです。バレエ団に入団して初めて素敵だと感じました。「オネーギン」で、決闘直前に独白の踊りを踊るのですが、照明を受けると横の姿と表情が恰好いいんです。ああだから人気がすごくあるんだな、とわかりました。」(ヒャンギ)

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群舞とソロをねて東奔西走

二人はまだシーズンの定期公演において固定で主役を演じるダンサーではない。ミヌが2012年, ヒャンギが2013年に「くるみ割り人形」で主役デビューしたが、まだ群舞とソロを兼ねながら東奔西走する段階だ。役割が多くて練習日程も一杯になり、昼食を食べる時間もない。ミヌはそうしているうちにお腹を壊し、最近は簡単に弁当を作ってくるのだが、ヒャンギはそれを一口ずつもらって食べるのだとか。

誰でも早く主役を演じたいと思いますが、位階の秩序がじれったくはありませんか。

ヒャンギ: 私はむしろ良いです。群舞生活がとても助けになりました。一つずつ経てみると、作品を踊るときに群舞と呼吸もよく合います。
ミヌ: 簡単に自惚れずにすむので良いです。その時代があったから自分を振り返ることもできます。最初に入団した時「春香(チュニャン)」をやりましたが、あまりにもできなくて群舞からもはずされ、捕卒と横に立っているのだけやったんです。今は全部踊れますが、2008年にどれだけできなかったら、ああだったんだろうと考えると面白いです。


◆二人がペアの演技はやれていませんが、呼吸がよく合うでしょうか。

ヒャンギ: 「ジゼル」でペザント・パドドゥ、「白鳥の湖」でパドトロワを踊ってみましたが、長い間柄ですからよく合うと思います。最近練習の時に一緒に合わせてみたりもしますが、よく受けてくれます。ミヌがあのように見えても筋肉がすごいんです。いつか一緒に踊れると良いです。

 

◆どんな作品、配役が一番やりたいですか。

ヒャンギ: 二種類の姿を一つの舞台で見せることのできる「白鳥の湖」と、年輪を重ねたら「オネーギン」のタチヤーナも踊ってみたいです。ヘミン先輩がやっているのを見たら、ドラマバレエだからなのか動作一つする度に表情と全てが出るんです。自分もいつかできるかな、と考えていて、もう少し年齢が上になったら私もそうやって舞台を創ってみたいです。
ミヌ: 自分もその二つの作品です。僕が一緒にやってあげるから(笑). 事実今までは与えられたものを頑張ろうと走ってきましたが、長くなってきたので欲が出てきます。直近では下半期に公演する「眠れる森の美女」、「ラ・バヤデール」のクラシック2作品がどちらもやりたいです。正直どちらをもらっても全部踊ってみたいです。

 

[中央Sunday Magazine]

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