【インタビュー】バレリーナ カン・イェナ「沈清はがむしゃらな私と似てる」

【インタビュー】バレリーナ カン・イェナ「沈清はがむしゃらな私と似てる」

9~12日国立劇場で「沈清(シムチョン)」公演

嘆きや悲痛な感情の表現に努める

「悲しみの色は毎回同じはずはない」

生まれ変わるならば、バレエはしたくない

「それくらい後悔なく練習し、生きてきた」

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ユニバーサル・バレエ プリンシパル、 カン・イェナ。 去る3月に最後の「白鳥の湖」公演を終えた彼女が、今回はバレエ「沈清(シムチョン)」で、主人公である沈清役で観客と出会う(写真=クォン・ウク記者ukkwon@)

 

 

英国ロイヤルバレエ学校、キーロフ マリインスキー・バレエに韓国人として初入団。 アメリカン・バレエ・シアターに入団した韓国人第1号。 いつのまにか国内バレエ界プリンシパルの中でも年長のお姉さんになったバレリーナ カン・イェナ(38)にはとりわけ「最初」という修飾語がたくさんついてきた。 1996年にユニバーサル・バレエへソリストとして入団し翌年には最年少プリンシパルという記録も立てた。

 

30年余りの間に踊りに対する意地もできた。 「踊らなければならないのが私の運命だった。」その間に成し遂げた成果に匹敵するぐらい責任感を持って血のにじむような努力をしてきた彼女である。 「次に生まれ変わるならばバレエをしたくない。 それだけ心残りがないほど練習してきた。」全盛期を謳歌していた真っ最中の20代始めに、左膝の十字靭帯が破裂し、手術をする痛みも経験した。 早い時期での負傷のためしばらくスランプも経験したが、これに屈せず練習に練習を繰り返した。 今のカン・イェナを作った底力だ。

 

先月30日にソウル 陵洞(ヌンドン)にあるユニバーサル・バレエで会ったその日も、練習後の汗にぐっしょりぬれた姿で現れた。 9日から12日までソウル、獎忠洞(チャンチュンドン)国立劇場の舞台に上がる創作バレエ「沈清」のためだ。 彼女は主人公の沈清役を演じる。 何度も踊ってきた作品なので休み休みすることも可能だろうが彼女は依然として練習の虫だ。

 

「白鳥の湖」には慣れているでしょうが「沈清」を演じる気持ちはどうでしょう?

 

▲バレエ「沈清」は1986年に初演され、今年で27年目です。 1988年ソウルオリンピックの時に現在のジュリア・ムーン ユニバーサル・バレエ団長の沈清を見て「私も必ず沈清になる」という夢を持ちました。 そうするうちに2004年に初めて「沈清」に出演することになりました。 感無量でした。「沈清」は韓国の古典であってもバレエとして作られた作品なので、特に大変な部分はありませんでした。 ただ盲人たちの宴会の場面や沈清の動きに韓国的な身振りがたくさん入ります。 韓国舞踊を習ったことがなかったので、ステップを踏むとき少しぎこちなかったです。 バレエをしながらもひょいひょいと仮面の踊りを踊るのですが、その部分が新鮮でした。

 

カン・イェナ式沈清の特徴がありますか?

 

▲主眼点を置くのはストーリーテリングです。 きれいな線の表現と繊細なストーリーテリングに神経を多く使う方です。 客席からは眉毛の微細な動きまで見ることができない可能性もありますが、カメラが目の前にあると思って演技します。 沈清を可哀想なヒロインとして見る人もいますが、私は自らの運命を切り開く強い女性と解釈しています。 ですから悲しい場面も全部同じようには表現しません。 時には嘆いていたりもし、悲痛であったりもする沈清の姿を表しています。

 

-出演した作品の中で代表作を挙げるとすれば?

 

▲「ドン・キホーテ」「ラ・バヤデール」「オネーギン」「沈清」の4作品です。 弱いキャラクターはあまり好きではないですね。 可哀想なヒロインや白馬に乗った王子が現れて魔法を解くのを待つ役は、自分とはあまり合いません。 困難に耐える力のあるキャラクターが好きです。 作品ごとに私の色を着せようと努力しますが、強じんなキャラクターを演じてみると、毎回違う解釈ができて良いです。 「ここではどのように笑おうか」「ここではどのように泣こうか」など、毎回違った方法で考えます。 私自身がバレエだけを見つめてがむしゃらに生きてきた部分があります。 実際の性格と似ていて強いキャラクターに愛着があるのかもしれません。

 

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インタビューの日もカン・イェナは、練習後の汗でぐっしょりぬれた姿で現れた。 彼女は「次に生まれ変わったらバレエはやりたくない。 それだけ心残りがないほど練習してきた」と言って笑った(写真=クォン・ウク記者ukkwon@)

 

 

去る3月に最後になるであろう「白鳥の湖」を公演した心境はどうですか?

 

▲白鳥を卒業してとても幸せでした。 最後の「白鳥の湖」と別れのあいさつをとても上手にしたようで気分が良いです。 実は「白鳥の湖」の練習をしながらあんなに楽しく出来たことはありませんでした。 しっかりと終わらせることができたという気がするので感謝しています。 公演が終わって何日間かは雲に乗ってるような感じでした。 それだけ担っていた大きい荷物が降りた気分です。 今も気が楽です。

 

最近ダンスウェア ブランド「イェナライン」をリリースしながら事業家にも変身されました。 舞台以後の人生設計なのでしょうか?

 

▲違うとは言えませんね。いつ引退するかは分かりませんが、いつかは舞台を離れなければなりません。 これまでバレエをしながら感じたことを、どのように実現していくことができるか悩んできましたし、何かはしなければならないと感じました。 国内に引退したダンサーは多いですが、自分の名前を掲げたブランドを起こすということはバレエでは私が初めてです。 現場でどんな服が必要なのかを知っているので、隙間市場を狙えるデザインを強みとして打ち出しました。 既存にある大手企業と競争したいのではなく、私の個性に沿って営んでいます。

 

創作バレエが「バレエ韓流」を導きましたが、 創作バレエの課題と未来に対する考えは?

 

▲芸術の重要性は何か新しく創りだすことにあると思います。 創作バレエこそバレエの未来だと思います。 世界的な傾向も創作に向かっており、「沈清」が愛される理由も創作だからだと思います。 今後も創作バレエがたくさん出て来なければならないと思います。 他のあるバレエ団がすでに上演した作品は、いくら上手にできたとしても、例えば元手を取れるかどうかという位のものです。 立派な振付家がすすんで創作バレエを持続的に創ってこそ、真の意味での世界化を夢見ることができると思います。

 

 

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