引退舞台に立つカン・イェナ 「26年間愛した私のバレエにアンニョン」

引退舞台に立つカン・イェナ 「26年間愛した私のバレエにアンニョン」

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バレリーナ カン・イェナ, 来る7月「オネーギン」舞台を最後に引退するユニバーサル・バレエ プリンシパル

 

7月「オネーギン」舞台を最後に引退…「すべてを注ぎ込んで来たので後悔はない」

 

「生まれ変わってもバレエをまたしようとは思いません。 それだけすべてを謳歌しきりましたし、また、それだけ凄絶でした。 またしろと言われたとしても、自分が努力してきたそれ以上の事をできない、ということを知っているので心残りがありません。」

 

何かのために誠意をつくして献身した者の最後は、このように充実していて美しい。

 

26年間バレエとともに生きてきて、そのうち19年間プロのダンサーとして舞台に立ってきたユニバーサル・バレエ(UBC)プリンシパル カン・イェナ(38)が、来月「オネーギン」の舞台を最後に引退する。

 

カン・イェナは「最年少」、「最初」の記録をとりわけたくさん持つスターバレリーナ。英国ロイヤルバレエ学校に入学したのも、ロシア キーロフ・バレエと米国アメリカンバレエシアター(ABT)に入団したのも韓国人として彼女が初めてであった。 UBC最年少プリンシパルというタイトルも持っている。

 

彼女の理想的な身体条件と西欧的なマスクも多くの人々の羨望の的であった。

 

だが、彼女は舞台上での華やかさだけを知るバレリーナではない。 1998年のABT入団直後、急遽訪れた左膝十字靭帯の破裂によって絶えず負傷の苦痛と戦わなければならなかった。

 

彼女を再び起きあがらせたものは結局、努力と誠実、練習であった。 どのバレエ団でも一番最初に練習室に入り、一番最後に練習室を出て行くダンサーがカン・イェナであった。

 

2004年に国内に戻り、ユニバーサル・バレエの プリンシパルとして再起に成功した後には、番組MCやバレエ解説者などでも活躍してきた。

 

最近ソウル UBCの練習室で彼女と会い、引退への気持ちと今後の計画などを尋ねた。 彼女は様々な司会やインタビュー経験を通じ鍛えられたなめらかな話しぶりで、質問に一つずつ答えていった。 だが、バレリーナとして数多くの経験を経た彼女にも引退は当然「初めて体験すること」。 彼女はインタビューの途中、目がしらを赤らめたり、話ができなくなったりもした。

 

–まもなく最後の舞台を控えている。 お気持ちはどうですか?

 

▲昨年からこのくらいを引退時期と考えてきた。 引退の時期を知るのはダンサーとして制限時間付きの人生を送るようなものだ。 「くるみ割り人形」公演から「白鳥の湖」、「沈清(シムチョン)」まで私が今まで立ってきた舞台と一つずつお別れする時間を持った。 今はもう本当に一つの作品しか残っていないと考えると感情起伏が激しくなって涙も多くなる。 だけど、最後の舞台では泣きたくない。 前もってたくさん泣き、体験する感情もみな感じてしまい、最後の公演はさっぱりと終わらせたい。

 

–最後の舞台が「オネーギン」だ。

 

▲元々はUBC 7月公演は「ラ・バヤデール」だったが、国立バレエ団とレパートリーが重なったので「オネーギン」に変更になった。 でも、私は神様が助けてくださったのではと考えるほど「オネーギン」に大きな愛着がある。 気まぐれの恋をする時期の清純で純真な10代の姿から、重厚な美しさで華を咲かせる中年の姿までを見せなければならない。 長編の韻文詩のような性格の作品だ。 だから私の過去のすべての時間とドラマを心残りなしに見せることができるようだ。

 

–今回「オネーギン」舞台にABT初の韓国人プリンシパル ソ・ヒも共に立つ。 昨年ソ・ヒ昇級の便りに「私が成し遂げられなかった夢をあなたが成し遂げた」との祝いのメッセージをツイッターに残したりもした。 「ABT入団直後のあの負傷がなければ」という無念さはないか。

 

▲明らかに大きい試練だったが、私の運命として受け入れたので「ケガしなかったならば私の人生がどうだったのだろうか」などは考えない。 また、偶然ということはないと思っている。 すべての事には理由がある。 私のような場合は、負傷を通じて得たものがさらに多かった。 リハビリにしがみつきながらバレエを心より愛する自分の姿を再発見したし、その力で今まで舞台に立ってきたのかも分からない。 また、底辺から再び積み上げて心の内を確かめることができた大事な時間でもあった。

 

–ダンスウェア ブランド 「イェナライン」を作り、デザイナー兼事業家として第2の人生を始めますが。

 

▲元々ファッション方面に関心が高く、ダンスウェアのデザインにも関心が多かった。 ダンスウェアはダンサーにとって第2の皮膚のようなものだ。 美しくて、よく似合うダンスウェアを着れば練習までさらにうまくいくが、反対によく合わず短所まで浮び上がらせる練習義を着ていると、早く練習を終わらせたくなる。(笑) 後輩にそんな小さな幸福感を与えたかった。

 

–バレエは今までの26年間、あなたにとってどんな意味だったのか。

 

▲とても幼い年齢にお嫁に行って初めて仕えた夫のようだ。 元気な時も病気の時も、うれしい時も悲しい時も最善を尽くして仕えることを誓い、26年の間本当にそのようにした。 もう互いに見送る時がきたようだ。 「君はやるだけやった、本当に一生懸命にやった、もう別れても大丈夫だ。」とバレエが私に言っているようだ。

 

 

【NAVER NEWS】

http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=001&aid=0006292160